土曜日の試合から2日が経過してもう平日で日常生活に戻っている。
「戻っている」と書くと「でも来年J2には戻らなくて済んだぞ!!」みたいにはまだまだ即座に変換される。

札幌に戻ってきた選手達を迎えるJALさんのセレモニーなんか見ると、なんだかまるで優勝でもしたみたい。私達は11月18日の午後5時以降ずっと大はしゃぎだ。
そこでふと「優勝したわけじゃないでしょ、たかが残留出来ただけでしょ」と、冷ややかな私が脳内に仁王立ちする。
「J1に残ることが『たかが残留』だと思っていた人が一体どれだけいたと思う?」と、熱くなる私が答える。

「たかが残留だと誰も思っていなかったから、『たかが残留で』と今思える結果に出来たのではないの」


昇格すれば必ず夢を見る。
1998年。はじめて上がったときは、Jではどのぐらいやれるのだろうと思った。
2001年。一度落ちてから戻ったときは、今度は前回よりは勝つぞと思った。
2008年。二度落ちてから戻ったときは、今度こそ定着しようと思った。
2012年。三度落ちてから戻ったときも、今度こそ定着しようとやっぱり思った。


2017年。四度落ちてから戻った今年は、「なにがなんでも残留しよう」だった。
定着の前にまずここに一年残る。なにがなんでも残る。
残留争いをしようって。そしてそこで絶対残ろうって。
それだけだった。いい成績なんて端から望んでなかった。
最終節にギリギリでなんとか残れれば最高だと思ってた。


結果、まだ公式戦を2つ残して来年のJ1の椅子を確保することができた。
優勝する並の感動が沸き起こるかと思ったらそうでもなかった。
テレビを見てネットの反応を見て、よかったなあ本当によかったなあと、安堵のほうが大きくて。

それでもこれまで16年、たくさん抱えてたくさん潰れた夢の跡、夢の代わりに堆く積み上げられた悔しさ、あれを絶対処分する。絶対やると決めてそれをちゃんと成し遂げることができたなあ と思うと唐突に泣けてきたりした。

この数年のチームの変化は大きくて、中には痛みの伴う変化もあった。
ここを去っていった人達のことも知っている。
これだけの変化で残ることができなかったら一体どうなるんだろう、と思ったりもした。
でも残ってみると、リスクを負わずに変化することなんて出来ないもんだなと思わせられてる。
去った人残った人、誰も報われないまま終わるということがなくて本当によかった。


チームが出来て21年め。
20年も超えればチーム以前に時代の価値観が大きく変わってくる。
これからもきっと一筋縄ではいかない前途が待っているんだろう。
それでもこの一年のことは大事な歴史のひとつとして書き残しておこう。

たかが残留という端から見れば小さな目標に、ベタな言葉になるけどこれしかない、一致団結で立ち向かうことができたこと。
こんな小さな達成がここから先の大きな礎になることをこころから願っている。

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