フィギュアネタ続投。書評的なアレ。っても読んだの今年の1月だけど。
タイトル通りオーサーコーチの本のお話です。
バンクーバー五輪ではキム・ヨナ、そして去年のソチ五輪では羽生君と、2大会続けてクリケットクラブでの教え子がゴールドメダリストとなったオーサー。
というと、いかにも成功指南の本っぽいですがそういう方面ではないです。
内容としては本人の生い立ちから羽生君との対談、キム・ヨナとのあれこれ。
個人的には羽生君との云々よりもこのキム・ヨナとのエピソードのほうが興味深かったです。読んだら結構印象変わるかも。少なくとも自分は変わった。
自分としては、この本の一番のキモは「はじめに」あったところで、
引用すると
このオーサーの謙虚な姿勢にびびったと同時に、仕上げた人間が偉いというではなく、小さい頃から選手の才能を見出してそれを潰さずに育ててきた・支えてきた人たちがあればこそ、という視点にはっとさせられました。
どんな才能でもどんな人間でも、その人の力「だけ」で上がっていけるものではない。ひとりで大きくなるわけではない。才能が才能として世に出て行くためには、本人の努力+周囲のサポートが脈々と繋げられていく事が必要なのだと。
才能が見出されること、それが正しく育てられること、育っていくこと。
人から人へのバトンが見える思いがしました。
フィギュアスケートだけの話では全然なく、サッカーも当然そうだよなと。
育てられた、という意識があれば周囲への感謝も必然的に生まれてくるものだろうと。
逆にその気持が持てなくて、自分だけの力で来たみたいな思いだったりしたら、それが自負であったとしても先は知れているのかもしれない。感謝大事。
超絶余談ですが、羽生君を眺めはじめて初期の頃、彼の隣にいる「ブライアン・オーサー」というプーさんみたいなまるこいおじさんと、カルガリー五輪でのブライアン対決のオーサーが同じ人物だと一致するのにややしばらくの時間を要しました。
タイトル通りオーサーコーチの本のお話です。
バンクーバー五輪ではキム・ヨナ、そして去年のソチ五輪では羽生君と、2大会続けてクリケットクラブでの教え子がゴールドメダリストとなったオーサー。
というと、いかにも成功指南の本っぽいですがそういう方面ではないです。
内容としては本人の生い立ちから羽生君との対談、キム・ヨナとのあれこれ。
個人的には羽生君との云々よりもこのキム・ヨナとのエピソードのほうが興味深かったです。読んだら結構印象変わるかも。少なくとも自分は変わった。
自分としては、この本の一番のキモは「はじめに」あったところで、
引用すると
ユヅルを2012年まで指導してきた阿部奈々美コーチ、短い期間であっても指導したであろう、さまざまなコーチ、トレーナー、さらには精神面を支えた人たち。そういったすべての人々のお陰でユヅルが存在しています。ユヅルの金メダルは、私ひとりの功績ではまったくありません。
このオーサーの謙虚な姿勢にびびったと同時に、仕上げた人間が偉いというではなく、小さい頃から選手の才能を見出してそれを潰さずに育ててきた・支えてきた人たちがあればこそ、という視点にはっとさせられました。
どんな才能でもどんな人間でも、その人の力「だけ」で上がっていけるものではない。ひとりで大きくなるわけではない。才能が才能として世に出て行くためには、本人の努力+周囲のサポートが脈々と繋げられていく事が必要なのだと。
才能が見出されること、それが正しく育てられること、育っていくこと。
人から人へのバトンが見える思いがしました。
フィギュアスケートだけの話では全然なく、サッカーも当然そうだよなと。
育てられた、という意識があれば周囲への感謝も必然的に生まれてくるものだろうと。
逆にその気持が持てなくて、自分だけの力で来たみたいな思いだったりしたら、それが自負であったとしても先は知れているのかもしれない。感謝大事。
超絶余談ですが、羽生君を眺めはじめて初期の頃、彼の隣にいる「ブライアン・オーサー」というプーさんみたいなまるこいおじさんと、カルガリー五輪でのブライアン対決のオーサーが同じ人物だと一致するのにややしばらくの時間を要しました。